赤穂城 『忠臣蔵』の浅野氏が建てた軍学の城

赤穂城 三の丸隅櫓 未分類

今回は、『忠臣蔵』の赤穂浪士で有名な兵庫県赤穂あこう市の赤穂あこうじょうに行って参りました。

赤穂城の概要

元禄14年(1701)に起こった「元禄赤穂事件」、いわゆる『忠臣蔵』でおなじみ赤穂浪士の故郷となる城です。あさ内匠頭たくみのかみ長矩ながのりの祖父・浅野長直ながなおが、元からあった陣屋を慶安元年(1648)から改修し、近世城郭として整備しました。縄張は甲州流やま鹿が取り入れられ、砲撃戦を意識してよこがかりが多数作られました。明治の廃城令で建物は破却されましたが、昭和25年(1950)に大手門や大手やぐらなどが順次復元されました。

用語解説

横矢(横矢がかり)・・・・・・迫りくる敵に対して、側面から攻撃すること

軍学の粋を建てた城

浅野長直は、甲州流軍学者の近藤正純まさずみに縄張を命じ、また山鹿流軍学者の山鹿素行の意見も取り入れました。この二つ流派の特徴が取り入れられた赤穂城では、砲撃戦を考慮して十字砲火ができるように多くの横矢がかかる櫓が作られました。

『忠臣蔵』の舞台、赤穂城入城

まず、赤穂市立歴史博物館に行きました。

この博物館では、赤穂城や赤穂浪士に関する資料が展示されており、それらを詳しく学ぶことができました。2026年現在、入館料は大人200円、小・中学生100円です。100名城スタンプは、ここで押すことができます。1階は赤穂の塩に関するコーナーとなっており、復元された塩廻船「赤穂丸」の大きさに圧倒されました。

2階には、赤穂の城と城下町に関するコーナーがあり、赤穂城復元模型などを見ることができました。見どころたっぷりの博物館でした。

博物館を出るとすぐ横に清水門跡があります。

三の丸の東に開かれた門で、板橋がかかっています。板橋から博物館を見ると、白壁土蔵風建物の外観を見ることができます。

付近の熊見川沿いに赤穂城米蔵跡に建てられためこのような外観となっています。また、板橋からは東北隅櫓を見ることができました。

手前には二の丸堀があり、敵兵を防ぐために柵が設けられていたそうです。

板橋を渡って清水門を通ると、三の丸に入ります。少し進むと、武家屋敷公園の門が見えます。

家老格の重臣の屋敷は、城の重要な門の近くに設置されていました。ここは、清水門の警護として坂田式右衛門の屋敷があった場所です。公園は、写真の武家門や築地塀、杉皮葺あずまやなどが復元され、江戸時代の武家屋敷の雰囲気を感じることができました。

三の丸を進むと、二の丸門跡に着きます。

二の丸門は二の丸の入口として、切妻式櫓門が構えられていました。

用語解説

切妻造……屋根を棟から両側へふき下ろし、その両端と棟を直角に切った造

二の丸門跡からは、広大な二の丸外堀を見ることができました。

奥には北隅櫓台が見えます。明治25年(1892)の千種川大水害の復旧のため、先ほど登場した東方の東北隅櫓台からこの写真の西方の北隅櫓台にかけての二の丸城壁の石が築石として使用されたそうです。

二の丸門を通ると、左手に山鹿素行像が見えます。

山鹿素行は、朱子学を批判した古学派で、『聖教要録』を刊行して古代の聖賢に立ち戻ることを主張したため、幕府によって赤穂に流されました。

像の反対側には大石頼母助たのものすけ屋敷門があり、門を入ると奥の方まで二の丸庭園が広がっています。敷地内には、山鹿素行謫居地跡がありました。

赤穂城築城の頃、山鹿素行は赤穂にお預けとなっており、高名な素行先生が赤穂にいるのだからと、素行の意見を取り入れたため、山鹿流軍学も取り入れられることとなりました。ちなみにこの時期に国家老であった大石くらすけは薫陶を受けたとされています。

イッセイ
イッセイ

素行は、赤穂でお預けの間も軍学を教え、江戸に戻った後も軍学を教え続けた、軍学の先生として慕われた人物だったわけだよ。

天守台のある本丸と、折をもった石垣

本丸は二の丸と堀で囲まれており、二の丸を進むとすぐに本丸表門が見えます。

平成8年(1996)に本丸内部を整備し、本丸櫓門などが復元されました。この門は、発掘調査の成果や絵図、古写真などの資料を基に復元されました。塀のなかにある狭間がキレイですね!

写真奥の櫓門を抜けると、本丸に入ります。本丸には御殿跡があり、立っている場所がどこの部屋かわかるよう説明書がありました。また、本丸には本丸庭園がありました。

先ほど紹介した二の丸庭園とともに国の名勝に指定されています。美しい庭園で、本丸という感官の中で癒やされました。

本丸の奥には、天守台がありました。

天守台は残っていますが、天守は築かれなかったそうです。

天守からの眺めは良かったです。足元の本丸を見渡すことができました。

写真手前に広がっているのが本丸御殿跡で、奥には本丸櫓門が建っています。また、奥の方には工場群や連なる山々を見ることができ、赤穂の土地の様子を知ることができました。

天守台を降りて、うまやぐち門から二の丸を出ました。

写真中央に見えるのが高麗門の厩口門です。注目していただきたいのは、写真左側の石垣と右側の石垣が繋がっているという点です。写真左側が奥の方が左向きに折れて凹んでいるため、このような複雑な光景が生み出されています。このように、多くのおれをもった石垣と水堀が赤穂城を作っています。

用語解説
  • 高麗門……門扉が雨に濡れないように屋根が三つついている門
  • 折れ……塁線上で土、塁や石垣、土塀や柵などを折り曲げたり、突出させたりする構造

写真右後方に見るのは隅櫓台です。

櫓台は、石垣の塁線から突出しており、横矢掛になっています。

「義士」ファン興奮の大石神社と大手門

三の丸へ戻り、大石神社へ行きました。

大石内蔵助をはじめ四十七義士を祭神とした神社です。神門前には、赤穂浪士四十七義士の製造が参道の両サイドにびっしりと並んでいます。壮観でした!

境内の茶屋で昼食をいただきました。赤穂は塩生産で有名だったわけで、塩うどんを頼みました。

塩の味が効いていて、おいしかったです。

神社の境内には、本殿だけでく義士発祥之地碑や義士史料館、大石邸宅跡など魅力的なスポットがたくさんあります。

境内を出て神社の横へ行くと、大石邸長屋門がありました。

元禄の時代に思いを馳せることができるこの建物は、国の史跡に指定されています。門を見上げると、屋根瓦には双ツ巴の大石家の定紋がついているのがわかり、内蔵助という人物を偲びました。

三の丸を進むと、大手門に着きます。

写真右側の二層二階の三の丸隅櫓は古写真をもとに、昭和30年(1955)に再建されました。初層には破風はふ付出窓があります。また、左側の大手門は、枡形ますがたを形成しています。

用語解説
  • 虎口……城の出入り口
  • 枡形……虎口前面に方形の空間を設け、周囲を土塁などで囲い込んだ虎口

今回は、軍学を具現化したような城に行き、『忠臣蔵』の世界に入ることができて良かったです。

参考文献:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『日本100名城に行こう』,学研プラス. 大野信長,有沢重雄,加唐亜紀,(2018),『日本の城1000城』,西東社. 千田嘉博,(2018),『一生に一度は生きたい日本の名城100選』,宝島社.

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