本佐倉城 関東の有力大名千葉氏が居城とした大城郭

本佐倉城 東虎口 未分類

今回は、関東の名族千葉氏が本拠とした千葉県佐倉市にあるもとくらじょうに行って参りました。

本佐倉城の概要

鎌倉時代から下総しもうさ(現在の千葉県北部と茨城県南部)守護であった千葉氏は、文明年間(1469~87)の輔胤すけたねの代で本拠を千葉から佐倉へ移し、本佐倉城を築きました。その後本佐倉城の城下は、下総の政治・経済・文化の中心となります。しかし、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐において、千葉氏は北条氏に味方につき敗れ滅亡し、本佐倉城も廃城となりました。いんぬまと湿地帯に囲まれた要害で、城域は大きく内郭と外郭に分かれています。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

内郭と外郭に分かれているんだね!

イッセイ
イッセイ

その通り。内郭は主郭などがある城の中心部で、その内郭群を大きく取り巻く外郭は、家臣団の屋敷地であったと考えられているよ。

下総守護千葉氏の本佐倉城入城

京成本線の大佐倉駅から徒歩で本佐倉城へ向かいました。ちなみに、続100名城スタンプは大佐倉駅に設置されてありました。駅から10分ほど歩くと、東山ぐちが見えてきます。

東山虎口は城の北側玄関口で、城山へ繋がる蛇行した狭い通路と2つの門が存在していました。また、内枡形うちますがたの長方形の空間であるため、堅牢な造りとなっているのがわかります。

用語解説
  • 虎口……城の出入り口
  • 枡形虎口……虎口前面に方形の空間を設け、周囲を土塁などで囲い込んだ虎口
  • 内枡形虎口……城の内側に設けた枡形を持つ虎口

東山虎口を少し登るとビューポイントに着きます。そこからの眺めは良かったです。

写真奥に広がる水田は、戦国時代は水運の要衝であったとりの海(現印旛沼)でした。香取の海は当時、写真中央を横に伸びる土手、京成線のすぐ北側まで水面が広がっており、沼から城までは湿地帯でした。もっと空気が澄んでいれば遥か遠くに筑波山が望めていたそうで、この見通しの良さが見張りの機能としてこの地が優れていたわけです。

イッセイ
イッセイ

香取の海を眺められる水上交通の要衝に城が築かれたということだね。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

高台からの景色から、築城において防衛上の「眺望」がいかに重要かわかった!

虎口を抜けると、左側に東山馬場と呼ばれるくる(城の平坦面を持つ一区画)が広がっています。そこを見ると、盾がずらーっと並んでいました。

東山馬場に設置されたこの盾は、千葉氏の家紋である月星紋げっせいもんが描かれています。古来の典型的な城のイメージがわく光景でした!

東山馬場には本佐倉城跡案内所がありました。

本佐倉城に関する模型や資料の展示がされていて、面白かったです。それでは、城山の方へ向かっていきます。

城山への登城

先ほどの東山馬場(Ⅴ郭)から登り、Ⅳ郭を通ります。Ⅳ郭の先には大堀切おおほりきりがありました。

大堀切は城山(Ⅰ郭)と奥ノ山(Ⅱ郭)を分けています。両郭の高低差は約6mあります。

用語解説

堀切……曲輪の独自性を保つ目的や、尾根筋を遮断する目的で尾根筋を断ち切るように設けられた堀

堀切を進むと、城山通路に繋がっており、勾配が急で蛇行したこの通路を登って、城山に到着しました。

城山郭は、城主のための敷地で、主殿など豪華な建築物群があったと考えられています。現在は、ただ広い空間があるだけですが、発掘調査から往時の賑わいを想像できます。

広大な空堀

次に、内郭最西端のセッテイ山(Ⅶ郭)に行きました。そこからは、広大な空堀からほりを見ることができます。

左が倉跡(Ⅲ郭)、右がセッテイ山(Ⅶ郭)です。堀の高低差は約10mもあります。写真は堀底から撮ったものですが、真っ直ぐ見通せないように、曲げて作られていることがわかります。

今回は、下総守護千葉氏の大城郭に行けて良かったです。

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