今回は、幕末の海防計画のために築かれた砲台、東京都港区にある品川台場に行って参りました。今回は、中学の友だちと攻城しました。
品川台場の概要
江戸時代後期に日本近海への外国船来港事件が度々起き、海岸防備の重要性により海防政策が進められました。その政策として、江戸湾海防のために台場を設置しようと品川台場の築造が計画されます。嘉永6年(1853)のペリー艦隊来航を受けて、同年から代官の江川英龍により品川台場の築造が進められました。最終的に、計画の約半数の6基のみ完成し、江戸湾防備の軍事拠点として明治を迎えました。
江川太郎左衛門英龍は、伊豆(現在の静岡県東部)韮山に生まれ、代官となりました。日本近海に外国船が出没するようになると、海防の強化を訴えて、西洋砲術を学びました。大砲鋳造の工場なども造営し、西洋砲術普及などの実績を買われ、阿部正弘政権下で品川台場の築造に当たりました。

外国の脅威に危機感を感じて、海防のために尽力した偉大な人ですね。
江戸湾海防の砲台、品川台場登城
ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線のお台場海浜公園駅から徒歩で第三台場へ向かいました。当日は、天気が悪く、雨と風が強かった中行ったので、海沿いと言うこともありとても寒かったです。台場の横には、レインボーブリッジが通っていて、駅から10分ほどでレインボープロムナード台場口に着きました。そこからは、陸続きの第三台場を見ることができました。

第三台場跡地を利用して、昭和3年(1928)に「台場公園」として開園しました。左側の歩道を渡って、第三台場へ行きました。歩くと、石積みのような場所に突き当たります。そこから階段を上り、台場内部へ入ることができます。階段を上ると、内部を見渡すことができました。

内部は、周りを石積みと土塁で囲われた凹地になっていました。内部には、火薬庫や陣屋跡が残っています。写真右側に見える、何個か基礎部分が残っている場所が、陣屋跡です。勤番者の居住地として、台場の中心に建てられました。写真奥の方に生垣で囲われた場所が、かまど跡です。公園の開園に伴って、八角形型のかまどが設置されました。
外周部を歩き、奥の方に進むと、砲台跡に着きます。

西洋式築城法により、外周部に砲台が築かれました。記録を元に昭和8年(1933)にコンクリート製で復元された砲台の実物大模型が展示されています。

幕末期に外国の脅威に対して抗おうとした様子を感じ取れるね。

昔の人々は、海防を強化して必死で国を守ろうとしていたんだね!
背後にはお台場を代表するレインボーブリッジが見えて、幕末期の騒乱とは対照的に、平和になった現在の風景を共に感じ取れました。
また、奥の方へ進むと、第六台場が見えました。

こちらも、第三台場と並んで現存する台場となっています。石垣を遠目から見ることができました。
周囲が海に囲まれている立地と言うこともあって潮風が強く、友だちも終始とても寒そうにしていました(笑)
海浜公園マリンハウス
駅の方へ戻り、お台場海浜公園にある海浜公園マリンハウスにいきました。そこに続100名城スタンプが設置されて、パンフレットを頂くことができました。展望台からは、水平に台場周辺の江戸湾を見渡すことができました。

台場が連続して、湾を遮断するように配置されていました。当時の日本が必死になって取り入れた西洋技術を使って、江戸湾を守っている様子がわかります。実効性だけでなく、西洋技術による軍事力を世に示すことも重視して、築かれたのだと感じました。
フジテレビ、球体展望台
次に向かったのは、お台場のシンボル、フジテレビ本社です。

2025年1月にフジテレビの不適切接待疑惑問題がニュースとなり、世間をざわつかせました……
そんな話題となった場所ですが、今回は品川台場を展望するために向かいました。一般(高校生以上)800円の入場料を払い、球体展望台へ上りました。球体展望台からは、東京湾を一望でき、眼下には第三台場が見えました。

「城」と言っても、様々な意味合いがあり、その施設の形は様々ですが、台場はその中でも独特な形をした要塞だと思います。そんな要塞を、実際に見て回ることができるのは、良い知見となったなと感じました。
今回は、江戸湾海防のための海上砲台「台場」に行けて良かったです。
参考:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『続100名城公式ガイドブック』



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