今回は、自然の地形を活かした武田氏の新城、山梨県韮崎市の新府城に行って参りました。
新府城の概要
天正9年(1581)、甲斐(現在の山梨県)の武田勝頼は、織田信長の軍に対する備えのために新たな本拠地となる新府城を築城し、居館を移しました。しかし、翌年に織田軍の侵攻を受け、一戦も交えず自ら城に放火し、城を放棄しました。この城は、一山全体を利用して築かれ、枡形虎口や丸馬出で守りを固めています。

あまり在城しないうちに、廃城となったんだね。

その通り。新府城への移転は、長篠の戦いで敗北した武田氏を立て直す改革の一環でもあったんだけど、信長に攻められ武田氏は没落へと進んでいったんだよ。
韮崎市民俗資料館
JR中央本線の韮崎駅からレンタルサイクルをし、15分ほどで続100名城スタンプが置いてある韮崎市民俗資料館に着きました。

この資料館には、韮崎市に関する資料が多く展示されてありました。入館料は無料です。新府城の模型や、土偶などの考古資料も展示されていて、見どころが多かったです。それでは、新府城へ向かいます。
武田勝頼が窮地に立たされて築いた新府城入城
韮崎市民俗資料館から自転車に乗り、25分ほどで新府公園駐車場に着きました。駐車場は城の北東に位置し、そこから西に歩いて新府城の入り口に向かいます。昔は堀であった湿地に沿った道になっていて、道中からは出構が見えます。

写真左側の盛り上がった部分が東出構で、奥には西出構があります。「出構」は、城郭北部の帯曲輪にある突出した鉄砲陣地のことで、東西に2カ所あります。新府城特有の防御設備となっています。
帯曲輪・・・・・・細長く帯状のびる曲輪(城の平坦面を持つ一区画)
手前の堀に沿って出構を見ながら西に進むと、搦手(乾門)に着きます。
搦手……城の裏口
搦手は城の北西隅にあり、堀がありました。

搦手周辺は、堀と土塁で防御が固められていました。
堀を回り込むようにして搦手へ進むと、乾門枡形虎口に着きます。

写真から土塁で囲まれた枡形虎口になっていることがわかります。
- 虎口……城の出入口
- 枡形虎口……虎口前面に方形の空間を設け、周囲を土塁などで囲い込んだ虎口
本丸から乾の方角を示すことから、乾門枡形虎口と呼ばれています。
搦手から木橋橋台や井戸などを見ながら歩くと、10分ほどで二の丸に着きます。二の丸から虎口を抜け、本丸に着きました。

本丸は、長方形の形をした曲輪です。発掘調査で礎石や築地塀が発見されたそうです。
本丸の北側は、景色が良かったです。

木が鬱蒼としていますが、八ヶ岳の雄大な景色を見ることができました。寒い季節に行くと、山々に雪が積もっている絶景が見えるそうです。
二の丸に戻り、二の丸南の曲輪の虎口を出て、南へ進みました。この城は平山城なので、坂はきつくありませんでした。15分ほど進むと、広大な三の丸に着きます。三の丸の南側には、大手がありました。

大手……城の正面
こちらも、土塁で囲まれた枡形虎口になっています。こちらは、城内で最も大きな枡形虎口となっています。大手から南の方角に、晴れていれば富士山が見られるそうです。
大手前面には、虎口を守る丸馬出と三日月堀があります。

写真左側が丸馬出部分となり、写真中央で湾曲している溝が三日月堀となっています。
- 馬出……虎口の前面(外側)に設けられた、攻撃の拠点となる小規模な曲輪
- 丸馬出・・・・・・半月型の馬出
城域南東端に構えられ、南門の防御の役割があります。

この丸馬出は、武田氏城郭の特徴の一つとなっているよ。

武田流築城術を体感できるんだね!
今回は、武田勝頼ゆかりの城に行き、自然の地形を活かした遺構が見られて良かったです。
参考:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『続100名城公式ガイドブック』



コメント
Nice post! 1754805048