二条城 徳川幕府の歴史を見守った城

二条城 二の丸御殿 近畿

今回は、徳川幕府を象徴する桃山様式を残す京都府京都市のじょうじょうに行って参りました。今回で2回目の攻城です。

二条城の概要

徳川家康が、天下を取った徳川家を象徴する上洛時の御所として築かせた平城が二条城です。家康が征夷大将軍拝賀の祝宴を催し、徳川慶喜が大政奉還を表明する、徳川幕府の幕開けと終焉の舞台となりました。国宝に指定されている二の丸御殿は、豪華絢爛な桃山様式の内装です。城自体は、平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録されました。

イッセイ
イッセイ

現在の姿になったのは3代将軍徳川家光の時で、家康が築いた二条城は単純な姿だったんだ。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

二条城の普請は続けられたんだ!

徳川幕府の京都の象徴、二条城入城

二条城東大手門前広場に着くと、まず東南隅櫓が見えます。

寛永期には四隅に隅櫓がありましたが、天明8年(1788)の火事で焼失しました。現在はこの東南隅櫓と西南隅櫓の二つが残っています。堀伝いに西に進むと、西南隅櫓が見えます。

二重二階櫓で、いしおとしは江戸時代末期の改修で加えられたそうです。

東大手門から入城しました。

立派な櫓門です。入城料は、2024年現在、一般800円、中高生400円、小学生300円、小学生未満無料です。一般の方は、二の丸御殿観覧に別料金がいります。櫓門から入っていくのですが、皆さん見落としがちなのは、櫓門の下部の金の装飾です。装飾の中に鳥がいるなどの仕掛けがあります。

こういうところで建築者の遊び心が表れています。二条城に訪れた際に、是非探してみてください!

豪華絢爛な二の丸御殿

東大手門を通り、左手に回ると、豪華なから門が見えます。

この唐門は、切妻きりづまづくりの二の丸の門です。わだぶきの四脚門で、から破風はふ内に蝶や獅子など様々な彫刻が施されています。

用語解説
  • 唐門……御所などに造られる格式の高い門
  • 切妻造……屋根を棟から両側へふき下ろし、その両端と棟を直角に切った造
  • 破風……屋根の端部に設けられたもの
  • 唐破風……下方と上方に反る曲線を組み合わせて頂部を丸く造った破風

唐門の横には塀重門がありました。

用語解説

塀重門……騎乗したまま通過できるよう門の上部が作られていない門

唐門を通ると、二の丸御殿が見えます。

歴史の重要な舞台となった、数少ない現存する城郭御殿です。国宝に指定されています。

中は写真撮影できなかったのですが、多くの部屋があり、どれも豪華絢爛で徳川将軍家の権威を感じられます。大政奉還が表明された部屋なども見ることができました。対面する大名に対して将軍を偉く見せるよう、金の壁や襖などに、様々な工夫がされてあります。とても見ごたえがありました。

二の丸御殿の脇から二の丸庭園に入り、進みました。

風情があって、良い庭園でした。

二の丸庭園を出ると、本丸へ入る橋があり、その横に鳴子門と桃山門がありました。桃山門は、長屋門になっています。

用語解説

長屋門……長屋と呼ばれる細長い建物の途中が門になっている門

天守台が残る本丸

東橋を渡ると、本丸に入ります。本丸にも本丸御殿がありました。創建当時は二の丸御殿ほどの規模でしたが、天明8年(1788)の火事で焼失しました。現在は、旧桂宮邸を移築されてあります。

本丸を進むと、天守台が見えます。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

天守は建てられたの?

イッセイ
イッセイ

かつて二度天守が築かれていて、一度目は家康の時代に大和郡山城の移築された天守をのちに淀城へ移築、その天守に代わって家光が築いた天守が落雷で焼失したんだ。

天守台からの景色は良かったです。

本丸御殿が目の前に見え、奥には京の山が見えます。

天守台を下り、本丸西ぐちから本丸を出ました。

奥の石垣が天守台です。手前は西虎口の出枡形と西橋です。石積の形が整っていて、美しいです。

用語解説
  • 虎口……城の出入り口
  • 枡形……虎口前面に方形の空間を設け、周囲を土塁などで囲い込んだ虎口

障壁画展示収蔵館

本丸と二の丸の外側を回り、入り口付近に戻ってきました。そこには、障壁画展示収蔵館がありました。

館内には、現存の障壁画が展示されていました。入館料は、100円でした。中では現存の障壁画が周りを囲んであったので、見事な空間でした。

歴史の転換期を見守った城に行けて良かったです。

コメント

Copied title and URL