今回は、三好長慶の居城である大阪府大東市、四條畷市の飯盛城に行って参りました。
飯盛城の概要
河内(現在の大阪府東部)守護畠山氏の家臣、木沢長政がこの城を築きましたが、長政は三好長慶に討たれました。その後、幕政の実権を握った長慶はこの城に入り政務を行いました。飯盛山山頂に築かれたこの山城は、南北に長くのびた尾根伝いに曲輪を連ねた縄張りになっています。
すごい人物の居城だったんだ!
その通り。畿内を支配した長慶は天下人のようなものだったんだよ。
三好長慶の居城、飯盛城登山
四條畷市側から登城しました。麓には、四條畷神社がありました。
南北朝期の武将、楠木正成の嫡男で四條畷の戦いで戦死した楠木正行が祀られています。
神社のわきにある登山口から登城していきます。
登山道は、急坂、階段などがあり、少しきつかったです。また、かなり登り続けたので、足腰に応えました。30分ほど登り続けると、眺望270度スポットに着きました。そこからの眺めは圧巻でした。
京都方面、大阪平野全域、神戸、微かに淡路島の山影まで見渡すことができました。
すごい眺めだね!
山城・摂津・河内・淡路という、三好政権の勢力範囲の景観を見渡すことができるよ。
登ってきた甲斐がありました。
史跡碑曲輪(通称)を抜けた先には堀切がありました。
それは、城内に現存する最大規模の堀切です。南北の尾根筋を断つ堀切です。
さらに少し先には、三好長慶の遺体を安置したという伝承がある御体塚曲輪があり、そこを抜けて、残っている石垣を見ながら進むと、山頂に着きました。山頂は、高櫓曲輪になっていました。
高櫓曲輪には、石碑と、楠木正行像がありました。
山頂からの景色も素晴らしかったです。
それでは、下山していきます。大東市方面へ下山しました。45分ほどで山麓の慈眼寺(野崎観音)に着きました。行基が開いたと伝わる禅宗寺院で、江戸時代から信仰と行楽を兼ねた「野崎まいり」で知られています。
天下人、三好長慶の居城に行けて良かったです。
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