小谷城 長政の激闘の舞台となった、浅井氏の名山城

小谷城 大広間から見た本丸跡 近畿

今回は、戦国大名あざ氏の堅城、滋賀県長浜ながはま市のだにじょうに行って参りました。

小谷城の概要

この城は、小谷山に築かれた、三代続いた浅井氏の山城です。浅井長政ながまさが織田信長に攻められ、浅井氏は滅亡しました。その後、戦功のあった豊臣秀吉が入城しましたが、秀吉が長浜城を築いたため廃城となりました。

浅井長政が自害した城

浅井長政は、信長の妹・おいちかたと結婚して信長と同盟を組みました。しかし、同じく同盟を結んでいた朝倉義景あさくらよしかげを信長は攻めに出ました。このため長政は信長を裏切り、朝倉方に付いて戦いましたが敗れます。さらに信長は小谷城を攻めこみ、長政はお市の方と娘たちを信長のもとへ送り出し、城で自害しました。

イッセイ
イッセイ

お市の方とその子供たちは、生涯で二度も落城を経験したんだよ。

浅井氏の歴史がある城下

JR北陸本線のかわ駅前に着きました。駅前には凛々しいお二人の浅井長政・お市像がありました。

長政は落城時、29歳だったそうです。

まず、小谷城主浅井家発祥の地へ行きました。

ようと呼ばれるこの地は、戦国大名浅井氏の本貫の地です。この地で、北近江の領主として名高い浅井氏が生まれたと思うと、心を惹かれました。次に、小谷城を眺望できる場所に行きました。

丁野山城の麓の駐車場から小谷城を遠望しました。

中央の方に清水谷きよみずだにがあり、そこに平時の居館がありました。右の方の尾根上に城の中心部である本丸などのくる(城の平坦面を持つ一区画)群があり、最高所に大嶽おおづく、左の尾根上に山崎やまさき丸などの独立した曲輪で構成されています。

イッセイ
イッセイ

戦国屈指の山城として知られる小谷城は、本丸や清水谷を取り囲むように、尾根沿いに曲輪をてい状に配置していました。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

小谷城は戦国時代の城の中でも強い城なんだ!

城は非常に壮大で、全てを一日で回るのは大変です。今回は本丸を目指します。

登城する前に、麓にある小谷城戦国山城資料館に行きました。

そこでは小谷城の歴史に関する資料が展示されていて、主に浅井氏の歴史について知ることができました。入館料は、2023年現在、高校生以上300円、小中学生150円でした。100名城スタンプはそこに置いてあります。

道中の麓に巨大な兜があったので、寄りました。

小谷城跡ガイド館の外にあるこの巨大な兜は、2011年のHNK大河ドラマ、「ごう~姫たちの戦国~」の放映記念だそうです。江戸幕府二代将軍である徳川秀忠の妻である江は、浅井長政の娘三姉妹のうちの三女です。小谷の地で生まれたということでゆかりがあり、建てられました。とても大きかったです。それでは登っていきます。

浅井氏の山城、小谷城登城

しばらく登ると、紅葉できれいな道に差し掛かりました。

秋の山道はこういう景色があるので好きです。

さらに登り続けると、番所跡に着きます。城の中心部の入り口です。番所跡から15分ほど登り続けると桜馬場跡に着き、そこからは小谷城から見て南東の景色が見えました。

奥の方に、秀吉が初めて城番として一城を預かった横山城や、左奥には百名山のぶき山などが見えます。湖東の山あいを見ることができました。

少し歩いた先の黒金門くろがねもん跡の近くには首据石がありました。

浅井亮政すけまさを裏切った家臣、今井秀信の首がここにさらされたと伝わっています。怖いですね。

黒金門跡に着きました。

「大広間」と呼ばれる曲輪の出入り口です。左右の石垣には重そうな巨石が用いられています。

階段を上ると、大広間に出ます。

大広間と本丸は山上の居住空間でした。広いこの場所で生活している様子を想像できました。大広間を進むと、本丸跡が見えます。

奥の本丸南面には石垣が残っています。紅葉もきれいで、良い景色でした。

階段を上ると、本丸に着きます。

本丸には二重の天守があったのではないかとする説もありますが、定かではありません。

最後に、赤尾屋敷跡に行きました。

そこは、浅井長政が自害した場所として知られています。何もない場所ですが、そこで長政は亡くなったんだと深く感じました。

下山する途中、展望所に差し掛かり、正面に長浜市内の景色が広がっていました。

奥の方に琵琶湖が見え、靄の中水面が太陽に照らされている部分があり、とても美しい景色でした。たまたまその場におられた登山者に話しかけられ、共にこの景色を鑑賞しました。知らない者同士、話すことができて楽しかったです!

浅井長政ゆかりの山城に行けて良かったです。

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