今回は、飛鳥時代に国家防衛のために築かれた朝鮮式山城、福岡県宇美町、太宰府市、大野城市の大野城に行って参りました。
大野城の概要
この城は、白村江の戦いで大敗した大和朝廷が、唐と新羅の侵攻に備え、大宰府を防衛するため、四王寺山(大野山)に築いた山城です。城は亡命百済人の指導による朝鮮半島の築城技法によって造られました。
しゃっちゃん
九州北部の警備兵、防人とは関係があるの?
イッセイ
正に、城は防人が守っていたんだよ。
大きな石垣がそびえる大野城
城は宇美町側から登っていきました。
山道を登っていくと、百間石垣といわれる大きな石垣が見えました。
底幅9m、高さ8mの石塁が百間(180m)ほど続いていることから「百間石垣」と呼ばれています。全国から集められた防人たちが積み上げました。
しゃっちゃん
当時の人はよく積み上げたね!
イッセイ
下から見るとその高さに圧巻されるよ。
さらに登り続けると、尾花地区に着きました。ここでは土塁がよくわかります。
土塁の外側は急な崖になっています。
さらに進むと、建物礎石群がありました。
このように、尾根に沿って築かれた広大な土塁の内側に8つの礎石群に分かれて残っています。その多くは、高床式倉庫だったようです。
焼米ヶ原展望台に行きました。そこからは太宰府市内を見渡すことができました。
城内が、急な土塁のように堅固なつくりになっているのは、万が一攻められたとき、城内に大宰府の政庁を移すことも考えて設計されていたからだといいます。
飛鳥時代の大陸からの侵攻に備えた朝鮮式山城に行けて良かったです。
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