岡豊城 四国を統一した長宗我部氏の本城

岡豊城 詰 中国・四国

今回は、四国を代表する戦国武将・長宗我部氏の居城、高知県南国なんこく市の岡豊おこうじょうに行って参りました。

岡豊城の概要

土佐とさ(現在の高知県)の有力国人であったちょう宗我部そかべがこの城を歴代の居城としていました。周辺勢力により落城して国親は城を追われましたが、永正15年(1518)頃に再び居城として城を回復させます。その子の元親が土佐を平定し、さらに四国を統一するまでの拠点となりました。豊臣秀吉の四国平定後、元親は浦戸城に本拠を移し、この城は廃城となりました。

イッセイ
イッセイ

山頂部のつめを中心にくる(城の平坦面を持つ一区画)を階段状に配置されているよ。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

城が段々になっているんだね!

高知県立歴史民俗資料館

まず、続100名城スタンプが置いてある高知県立歴史民俗資料館に行きました。

城がある岡豊山にあり、玄関には長宗我部元親像があります。この資料館は、高知県の歴史に関する資料が展示されていました。入館料は、2025年現在、大人470円、高校生以下無料です。長宗我部展示室には陣営の模型があり、戦国時代の雰囲気を感じられました。

説明ビデオなどもあり、長宗我部氏の活躍について深く知ることができました。

長宗我部氏の本城、岡豊城登城

資料館を出ると、正面に長宗我部元親飛翔之像が見えます。

戦国武将らしい勇ましい姿ですね!

像の後ろにある階段を上ると、二ノ段に着きます。資料館からの登城だったので、城内の行き来は楽でした。

二ノ段は、詰の北東部にあります。ここから、堀切ほりきりを渡ると詰下段に着きます。

用語解説

堀切……曲輪の独自性を保つ目的や、尾根筋を遮断する目的で尾根筋を断ち切るように設けられた堀

山頂部の詰から北東に詰下段、二ノ段と階段状になっています。さらに詰下段から上り、本丸にあたる詰に着きました。

詰は、岡豊山山頂部にあり、石敷遺構や礎石などが見つかったことから、建物が建っていたことがわかります。周辺には、土塁も見られました。

詰から西方向には、三ノ段、四ノ段と階段状に並んでいます。詰から少し下ると、三ノ段に着きます。

三ノ段には、礎石建物跡と復元石積がありました。土塁の内側で発見された石積が復元されています。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

石積が整備されていて、曲輪の様子がよくわかるね!

イッセイ
イッセイ

そう、城内の至る所で、復元や保存をされた土塁・石積が見られるんだよ。

四ノ段まで下ると展望広場があり、城からの景色が見えました。

のどかな良い眺めですね!手前に流れているこく川は、城の天然の水堀とされました。見えている景色は南国市郊外の様子で、奥の方には市街地と海が見えます。

今回は、四国統一を果たした長宗我部氏の本拠となる城に行けて良かったです。

参考:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『続100名城公式ガイドブック』

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