今回は、武田信玄が誕生した山城、山梨県甲府市の要害山城に行って参りました。
要害山城の概要
甲斐(現在の山梨県)の武田信虎は甲府の躑躅ヶ崎館に居館を移し、永正17年(1520)にその詰城として要害山中腹にこの城を築きました。信虎の戦の最中に、正室を避難させた先の要害山城の中で信玄は生まれたと伝えられています。武田氏滅亡後、甲府城が築かれるとこの城は廃城となりました。

避難先の城で武田信玄は生まれたんだ!

その通り。要害山城は、館の防御を強固にし、退避所となる詰城の役割があるよ。
躑躅ヶ崎館の詰城、要害山城登城
JR中央本線、身延線の甲府駅に着きました。

まず、南口にある武田信玄公之像を見ました。

威厳がある武田信玄らしい姿ですね。
北口には、武田信虎公之像がありました。

こちらが、武田信玄の父で武田氏の争いを統一した人物です。彼が作った城に向かいます。
甲府駅北口から山梨交通バスに乗り20分ほどで要害山麓の「積翠寺」というバス停に着きました。バス停から少し登ると、積翠寺が見えます。

境内は木々が多く、雰囲気のある古社でした。その寺の裏手には、武田信玄の産湯の井戸がありました。

信玄公がこの地で生まれたと実感するとともに、戦国武将の代表格とも言えるこの豪傑に脱帽しました。
積翠寺から歩いて登山口を目指します。道中からは、要害山を遠望することができました。

椀のように丸みを帯びた曲線の尾根から丸山とも呼ばれています。比較的緩やかに見えますね。
徒歩10分ほどで登山口に着きました。登山口には、目印となる要害山の石碑がありました。

人気の無い閑散とした場所だったので、この石碑を見つけて安心しました。石碑には、親切な説明と案内板があります。それでは、登城していきます。
登山道は遊歩道が整備されていますが、思ったよりより傾斜が急な山道が続きました。たまに、竪堀などの遺構を見つけることができます。
竪堀・・・・・・等高線に対して直角に掘られた堀
登山口から20分ほど登り、不動曲輪に着きました。そこには、武田不動尊が置かれていました。

凜々しい顔つきの不動尊です。また、その曲輪からは甲府市街地を眺めることができました。

木が鬱蒼としていますが、奥の方には山梨県内の山々が見えて景色は良かったです。要害山城から2.5kmほど離れている躑躅ヶ崎館も見ることができます。

この城で信玄を産んだ母は、この甲斐の景色を見ていたと考えると、様々な思いを巡らすことができるね。

母は信玄に、甲斐の地を大切に守ってほしいと思っていたかもだね!
不動曲輪からさらに山道が続き、主郭に近づいているため虎口の石垣を見ることができました。
虎口……城の出入口
不動曲輪から10分ほど登り続け、主郭に着きました。

主郭は、山頂に位置しています。周囲には、土塁を見ることができます。
また、主郭の北西部には武田信玄公誕生之地の碑が建っています。

この石碑を見れば、ここまで登ってきた甲斐があると感心します。武田信玄は戦国時代の強者で、戦上手として周りの武将から恐れられた存在ですが、戦いの最中で生まれたことから数々の戦をした彼の運命を感じます。
今回は、武田信玄誕生の城に行き、名高い戦国武将の人生に触れることができました。
参考:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『続100名城公式ガイドブック』



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