今回は、武田流築城術が使われた山城、静岡県島田市の諏訪原城に行って参りました。
諏訪原城の概要
この城は、天正元年(1573)に武田勝頼が遠江(現在の静岡県西部)を侵攻するため、東海道沿いの牧之原台地に築いたものです。その後の長篠の戦いで武田軍が敗北すると、徳川家康によって落城しました。徳川氏はこの城を守り武田軍へ反攻してましたが、武田氏の滅亡の後に廃城となりました。城内は馬出が見所となっていて、規模の小さなものだと武田氏、大きなものだと徳川氏の築造と考えられます。
馬出……虎口(城の出入り口)の前面(外側)に設けられた、攻撃の拠点となる小規模な曲輪(城の平坦面を持つ一区画)

遺構の大きさによって、どこの築城術がわかるんだね!

その通り。城内には、壮大な馬出が存在するよ。
武田氏築城の壮大な山城、諏訪原城登城
JR東海道本線の金谷駅から歩いて諏訪原城へ向かいました。駅から旧東海道を歩きましたが、坂が長くてきつかったです。森に入ると、石畳の道が整備されていました。

旧東海道金谷坂石畳と呼ばれるこの道は、江戸時代後期に村民によって整備された峠道で、1991年に復元されたそうです。傾斜のある坂が続くため少し足に堪えましたが、風情があって歴史を感じました。
坂を上り終えると、左手には一面に一面に茶畑が広がっていました。

静岡県は茶の生産量一位で、そこ牧之原は日本有数の茶どころとなっています。自然が広がる、のどかな風景で清々しい気分でした!
石畳坂の出口から右手方向に進むと、城跡の入り口に着きます。駅から30分ほどで着きました。城跡入り口の横には、続100名城スタンプが設置されている諏訪原城ビジターセンターがあります。
城跡入り口から、いくつかの堀がある大手曲輪を歩きました。堀を眺めながら進むと、二の曲輪中馬出が見えてきます。

草が生い茂ってわかりづらいかもしれませんが、丸馬出となっています。写真右側が馬出部分となり、写真中央で湾曲している溝が三日月堀となっています。
- 馬出……虎口の前面(外側)に設けられた、攻撃の拠点となる小規模な曲輪
- 丸馬出・・・・・・半月型の馬出
広大な二の曲輪の前面には2カ所の壮大な丸馬出が存在し、この中馬出はその一つです。

武田流築城術の特徴となるこの馬出は、前面の三日月堀は長さ約100mにもなるよ。

壮大な防御遺構なんだね!
馬出の三日月堀に沿ってさらに北へ歩くと二の曲輪北馬出に着き、そこには復元された城門がありました。

この門は、天正8年(1580)に徳川家康によって築かれたそうです。発掘調査で出てきた門の礎石に基づいて復元されました。
広大な外堀と、見晴らし良い本丸
今度は中馬出の中心部を通って、虎口から二の曲輪に入っていきます。道からは巨大な外堀を見ることができました。

こちらも草でわかりにくいですが、写真右側が二の曲輪で、写真左側が中馬出となっています。写真中央部に堀があり、左右は土塁となっています。二の曲輪を西側から南側に囲み込むように掘られた外堀で、幅約15~25mの大きさです。

城郭の多くの土塁は、堀を掘った排土をそのまま曲輪に積んで造られたんだよ。

土塁と堀は、切っても切り離せない関係なんだね。
二の曲輪を東に進み、内堀を渡ると本曲輪に着きます。

本丸の背後は絶壁となっており、後ろ堅固となっています。本曲輪からは、島田市内を一望できます。

大井川が流れており、美しい市内の景色ですね。空気が澄んでいれば、富士山を望めることもあるそうです。
本曲輪から南へ下り、二の曲輪南部へ向かいます。二の曲輪と二の曲輪大手馬出との間からは、先ほどの堀が続いている外堀が見えます。

広大ですね!城内で一番大きい横堀となっています。
横堀・・・・・・等高線に沿って掘られた堀
二の曲輪大手馬出には、諏訪神社が建っています。

築城者・勝頼の母は諏訪氏の出身で、諏訪神社が祀られました。この神社を勧請したことで、諏訪原城という城名を付けられました。
今回は、武田氏の巧みな築城術の城に行き、壮大な防御遺構を見ることができて良かったです。
参考:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『続100名城公式ガイドブック』



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