今回は、東美濃支配の拠点となった森氏の居城、岐阜県可児市の美濃金山城に行って参りました。
美濃金山城の概要
この城を築城した斎藤氏を滅ぼした尾張(現在の愛知県西部)の織田信長が美濃(現在の岐阜県南部)を支配したのに伴い、信長家臣の森氏が城主となりました。この城は、古城山の山頂に築かれた山城です。本丸は総石垣(石垣を中心とする城の造り)、その他の曲輪(城の平坦面を持つ一区画)でも部分的ながら石垣が用いられています。
この城は、北側を木曽川が流れ、南側を中山道が通る場所に位置していたんだ。
交通と流通の要所だったんだ!
歴史ある美濃金山城の城下
まず、城へ向かう途中で、美濃金山城を遠くから見ました。
古城山南側の眺望です。古城山の標高は約276mです。
城の東側には歴史ある寺院などが残っていました。可成寺では森氏の廟所がありました。
織田信長の側近で有名な森蘭丸の公墓もあります。彼がここで眠っていると深く感じました。それでは、美濃金山城へ向かっていきます。
森氏の居城、美濃金山城登山
まず、山の中腹にある蘭丸ふる里の森、蘭丸広場に行きました。
森蘭丸が生まれた地とのことです。
広場内には伝森蘭丸産湯井戸がありました。
森蘭丸の生誕地ということで、心を惹かれました。
出丸から登城しました。出丸からは、12分ほど登り続けました。登山道は急な道ではなかったです。三の丸虎口や本丸には石垣が残っていて、自然岩盤が利用されていました。また、石垣には破城の痕跡を見ることができるところもありました。
破城って何?
城を故意に壊して再び城が築かれないようにすることだよ。壊された石垣が残っているんだ。
本丸に着きました。
本丸には建物の礎石がありました。
本丸の半分近くを御殿や櫓などの建物で占めていたと推定されています。御殿や櫓の配置・構造が読み取ることができました。
本丸からの景色は良かったです。
北側に木曽川が見え、西側に岐阜市内方面への町や山が見えました。
森蘭丸にゆかりのある城に行けて良かったです。
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