今回は、多くの遺構が残る山内一豊の近世城郭、高知県高知市の高知城に行って参りました。
高知城の概要
関ヶ原の戦い後、山内一豊は土佐(現在の高知県)を与えられました。そこで、長宗我部元親の旧城があった大高坂山に、一豊によって新たに築かれた城が高知城です。この近世城郭は、天守と御殿の両方が現存する、国内唯一の貴重な城となっています。

享保12年(1727)の大火で城の大半が焼失したけど、延享4年(1747)にほとんどの遺構が再建され、天守も含めて現在まで残っているんだよ。

全国的にも現存する御殿は数少ないのに、天守まで残っているなんてすごい!
山内一豊の名城、高知城入城
高知城麓に着きました。そこには、出迎えんとばかりに立っている山内一豊像がありました。

凜々しい姿ですね!この像は、国内最大級の騎馬像となります。槍には鳩が数羽乗っていて、戦国の姿とは対照的に、平穏な雰囲気を醸し出していました。
堀を渡ると、壮観な追手門が見えます。

威容のある構えですね!高知城の表門となるこの追手門は、慶長年間に建てられました。石垣の上に渡櫓を載せた櫓門になっていて、通り抜ける敵の頭上からの攻撃が可能となります。周囲を石垣とで囲んで枡形を構成しています。大手を守るのに十分な防御性を備えていることがわかります。また、奥の方に天守が見え、天守と追手門がどちらも江戸時代のまま現存する貴重な光景を目にすることができました!
- 虎口……城の出入り口
- 枡形……虎口前面に方形の空間を設け、周囲を土塁などで囲い込んだ虎口
- 大手・・・・・・城の正面
銅板に鋲を打ち込んだ強固な門を抜けると、杉の段まで続く石段が見えます。石段の脇には、板垣退助像がありました。

学校の教科書で出てきた髭長の姿ですね!明治維新で自由民権運動を進めた彼は土佐藩出身で、明治時代の高知県を代表する人物です。背後には、天守が立っていて彼が際立って見えました。それでは、石段を登っていきます。
石段は、通常の歩幅では歩きにくいよう傾斜をつけられているため、攻めにくい工夫をされていて、登ることで実際に体感できました。やはり、きつかったです。
また、登りながら石垣を見上げると、石樋を見つけることができます。

高知は昔から降水量が多く、地盤と石垣に緩みが生じやすいことが懸念点でした。そこで、石垣内部に入った雨水を、この排水口から外に出すよう石樋が施されました。
石段を登ると、杉ノ段に着きます。杉ノ段には、山内一豊の妻像がありました。

一豊の妻、千代(見性院)は「内助の功」で一豊を出世させました。その有名な逸話の馬とともに像になっています。
妻の力による出世を「内助の功」と言います。千代は、一豊の欲しがった名馬をへそくりで買い、信長に注目させました。それがきっかけで、一豊は出世しました。
鉄門跡から二の丸まで
杉ノ段から石段を登り、鉄門跡を通って、三の丸に着きました。先ほど出てきた石樋の雨水は三の丸に集められました。三の丸にも石樋があります。また、三の丸には発掘で見つかった長宗我部氏時代の石垣が姿を現わしていました。

高知城の前身である大高坂城は、土佐一国に減封された後の長宗我部元親の居城です。
一豊は、元親が居城としていた大高坂城を改修し、河中山城と改名して新しい居城としました。城の周辺は、湿地帯で治水に難があり、度々水害が起こりました。そこで、城名から「河中」の文字を外して高智山城と名前を変え、現在の高知城と呼ばれるまでに至ります。

城の名前の歴史がわかるね!
この城は元親ゆかりの城であり、その遺構も見られて良かったです。
鉄の門跡に戻り、三の丸と反対方向の石段を登ると、立派な詰門が見えます。

別名を橋廊下と言います。渡櫓を載せ他櫓門になっていて、本丸と二の丸の間の堀を突破されるのを防ぎます。上の渡櫓は登城した家臣の詰所であり、本丸と二の丸をつなぐ通路になっています。
詰門から石垣伝いに進むと、天守の真下に着き、天守に付いている忍び返しを見ることができます。

よじ登ってくる敵に対して落石などで撃退するための石落としがあり、その周りに付いている先のとがった鉄棒が忍び返しです。敵の侵入防止のもので、この忍び返しが現存するのは高知城のみとなっています。

詰門や忍び返しなど、城を守る仕掛けがたくさんあるね!

高知城は美しいだけでなく、防御力も整っているんだよ。
鉄門跡に戻り、上へと続く石段を登ると、二の丸に着きます。二の丸からは、櫓と天守が並び立つ様子が見えます。

櫓が連立し、横に松の木が生えていて、風情を感じられますね。それでは、詰門を渡り、本丸へ向かいます。
現存する天守と本丸御殿
詰門の中はまさに廊下になっていて、雰囲気を感じることができました。詰門の先には廊下門があり、それをくぐって本丸に着きます。本丸に着くと、立派な天守と本丸御殿が見えます。

外観は四重で、内部は三重六階の望楼型天守です。
望楼型天守・・・・・・一階または二階建ての入母屋造の建物の屋根の上に、一~三階建ての構造の上階を載せた型式の天守
この現存天守は、18世紀に再建されたものですが、初代の姿を維持しています。天守と連結する本丸御殿は懐徳館と呼ばれ、全国でも数少ない現存する御殿の遺構となります。再三述べますが、天守と本丸御殿の両方が現存しているのは、この城のみでとても貴重です!それでは、本丸御殿へ入っていきます。
入城料は、2024年現在、18歳以上420円、18歳未満無料でした。入るとすぐに、『功名が辻』の飾り物がありました。

『功名が辻』は、山内一豊と千代が主人公の司馬遼太郎の歴史小説で、NHK大河ドラマにもなりました。大きくて、迫力がありました。
本丸御殿は、居室のような造りになっていて、一時期は山内一豊夫妻も居住していたと伝えられています。当初は金箔張りの豪華な建物でしたが、再建後に質素な造りとなりました。
さらに進むと、山内家の有名な家紋、「丸に三葉柏紋」の置物がありました。

三菱ロゴの元の一つとなったこの家紋は山内家のもので、他に複数の家紋を所持していたそうです。
庭園からは、矢狭間塀にある物見窓が見えます。

この物見窓は天守東南に位置し、高知城のみに現存します。
御殿の奥の方に進むと、上段の間が見えます。

上段の間は、藩主専用の座敷なので、他の間より一段高くなっています。
御殿と天守は直接つながっていて、そのまま天守に入りました。天守には、一階にある築城当時の高知城の様子を再現するジオラマなど、魅力のある展示があります。
天守四階からは間近に鯱を見ることができました。

天守には、調和のある青銅製の鯱が4個配置されています。

僕の仲間だね!美しい鯱なんだけど、見た目が怖いよ・・・・・・
最上階に上ると、外に廻縁と高欄が並んでいるのを見ることができます。

一豊の前の城、静岡の掛川城を模した飾りです。徳川家康にわざわざ許可を得て作られました。
そして、高知市街地を一望することができました。

絶景ですね!建物がずっと並んでいて、高知の街が栄えていることがわかります。西側を見ると、本丸周囲の櫓も見ることができました。

奥の方には雄大な四国山地を望むことができました。
カツオのたたき
高知に来たと言うことで、土佐料理の定番、カツオのたたきを食しました。一豊が土佐に入ったとき、カツオの刺身が原因の食中毒が流行していました。そこで一豊はカツオの生食を禁止しましたが、どうしても食べたかった領民たちは表面をあぶって焼き魚と称して食べ続けました。ここから、カツオのたたきが始まったと伝えられています。諸説ありますが、いただきます!

厚みがあり、口に入れた瞬間、カツオのうま味が広がりました!塩加減や焼き具合が巧みで、美味しかったです。たくさん種類があったので、カツオのたたきを存分に楽しむことができました。
今回は、天守と御殿が残る山内一豊の近世城郭に行けて良かったです。
参考文献:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『日本100名城に行こう』,学研プラス. 大野信長,有沢重雄,加唐亜紀,(2018),『日本の城1000城』,西東社. 千田嘉博,(2018),『一生に一度は生きたい日本の名城100選』,宝島社.



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