今回は、徳川家康が誕生した三河の拠点、愛知県岡崎市の岡崎城に行って参りました。
岡崎城の概要
豪族の西郷氏が建てた城を、徳川家康の祖父、松平清康が本拠とし、改築したのが岡崎城です。徳川家康はこの城で生まれ、過酷な人質生活の幼少期を送ったのち三河(現在の愛知県東部)大名として独立しました。天下統一した後、徳川家の聖地として重要視され、元和3年(1617)に藩主だった本多康紀により三層三階の天守が築かれました。
岡崎城の城下町は、川による水運が発達し、東海道の宿場町として賑わいました。本多氏の治世では「5万石でも岡崎様はお城下まで船がつく」と歌われていました。

岡崎藩は、小藩ながら発展していたんだね!
家康公が生まれた地、岡崎城入城
JR東海道本線の岡崎駅に着きました。

岡崎駅前には、松平元康(徳川家康)像があり、家康が生まれた地に来たと実感します。

愛知環状鉄道に乗り換え、中岡崎駅で降りました。駅を降りると、岡崎発祥の八丁味噌の匂いがします。駅前には、八丁味噌蔵があり、見学もできるそうです。
賑わいを見せる岡崎の町を歩きながら駅から15分ほど歩くと、岡崎城の大手門に着きます。

大手門は、岡崎公園の表玄関として、平成5年(1993)に建造されました。立派な大手門をくぐると、二の丸に入ります。入るとすぐ三河武士のやかた家康館が見えます。

入館料は、2024年現在、天守と共通券で大人650円、小人(小学生以下)320円です。館内では、徳川家康を中心に、徳川四天王のひとり本多忠勝ら三河武士ゆかりの史料が展示されていました。中でも目にとまったのは、「金陀美具足」です。

この金色に光る甲冑は、徳川家康が大高城の兵糧入れ、三河一向一揆、姉川の戦いのときに着用したと言われています。本物は久能山東照宮博物館で所蔵されています。
家康館を出て、岡崎公園内を散策します。公園内には、徳川家康公の銅像がありました。

これは、割と年配の家康公ですね。威厳がある姿です。
坂を上ったり下ったりして、川近くの坂谷曲輪に着きました。ここには、東照宮公産湯の井戸がありました。

家康公がこの地で生まれたと実感するとともに、乱世を生き抜き、江戸時代太平の世を築いたと思うと家康公に畏敬の念を抱きます。
坂を上り、持仏堂曲輪に着きました。ここからは、清海堀が見えます。

本丸北側の防御の空堀です。比較的短くて幅が狭く、緩やかに曲線を描く堀です。
高欄が特徴的な岡崎城天守
堀からはすぐ本丸に着きます。本丸には龍城神社がありました。

天守の隣に鎮座している神社で、家康公が誕生した朝、城上空に金の竜が現れ、雲と風を呼び、昇天したという伝説があります。この年、ちょうど辰年だったので、縁起が良かったです。境内からは天守上層部が見えます。

やはり、最上階の高欄が特徴的ですね。この手すり部分の高欄は、新たに付け加えられたもので本来は存在しませんでした。
天守前からは、付櫓とともに立派な天守を見ることができます。

壮大な天守ですね!天守は、昭和34年(1959)に付櫓、井戸櫓をつけて鉄筋コンクリート造で再建されました。
天守前には、家康公遺言碑がありました。

家康公は、「天下は一人の天下に非ず 天下は天下の天下なり」と遺しています。天下は家康だけのものではない。天下の民を思った治世を目指していることがわかります。それでは、天守に入っていきます。
天守内部は、岡崎城や城下町の歴史についての史料が展示されていました。最上階からは、岡崎市内を一望できました。

写真は、徳川家の菩提寺、大樹寺の方角です。

大樹寺の門からは、遠いけど岡崎城天守を見えるように眺望ラインを敷かれているよ。

昔からずっとライン上に建物が建たないようにして、そのラインを守っているんだ!
天守東の櫓と枡形
城を下り、龍城堀という水堀を見ながら天守東の多目的広場へ行きました。多目的広場は、菅生曲輪があった場所で、そこから東隅櫓を見ることができました。

再建された東曲輪の東隅櫓と塀です。櫓の東側には、枡形門跡がありました。
- 虎口……城の出入り口
- 枡形……虎口前面に方形の空間を設け、周囲を土塁などで囲い込んだ虎口

堀も遺構が残っていて、三河の拠点として鉄壁の防御の城だったんだね!
今回は、徳川家康誕生の城に行き、有名な歴史人物の人生に触れることができました。
参考:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『日本100名城に行こう』,学研プラス. 大野信長,有沢重雄,加唐亜紀,(2018),『日本の城1000城』,西東社.



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