今回は、広大な城域に多くの曲輪を配置された徳島県徳島市の一宮城に行って参りました。
一宮城の概要
この城は、南北朝時代、阿波(現在の徳島県)守護小笠原氏の一族の一宮氏が居城として築いたとされています。戦国時代に長宗我部氏が阿波を支配すると、一宮氏は滅ぼされて城は家臣に与えられました。天正13年(1585)の豊臣秀吉の四国平定後、阿波国主となった蜂須賀氏が一宮城に入りますが、翌年には一宮城は徳島城の支城の一つとされました。標高約144メートルの城山一帯に築かれ、東西約800メートル、南北約500メートルの広大な城域を持っています。

高低差があるピークごとに多くの曲輪(城の平坦面を持つ一区画)を設けているよ。

広い城域にたくさんの曲輪を持っているんだ!
数多くの曲輪が置かれる山城、一宮城登城
まず、城へ向かう途中で、一宮城を遠くから望みました。

手前の鮎喰川に面した城山で、大きくは北城と南城の二つの曲輪群からなっていました。
川を渡り、登山口から登城していきます。

登山口説明版横に続100名城スタンプが置いてありました。登山道を見た感じ、少しきつそうに思いました。それでは登っていきます。
20分ほど登り続けると、堀切に着きます。

尾根続きの才蔵丸(左)と明神丸(右)を分断しています。
堀切……曲輪の独自性を保つ目的や、尾根筋を遮断する目的で尾根筋を断ち切るように設けられた堀
さらに10分ほど登ると、本丸虎口に着きます。

一宮城は土造りの山城ですが、本丸のみに石垣が築かれています。本丸の虎口は平入です。
- 虎口……城の出入り口
- 平入……曲輪周辺部の土塁などの間にスペースを設けて門を配す最も単純な虎口

本丸はよく石垣が残ってるね!

阿波によく産出する結晶片岩でできた野面積だよ。
野面積……切り出したままの小・中自然石をほとんど加工せず積み上げた石垣
虎口の階段を上ると、本丸に着きます。

本丸は、開けていてゆっくりできました。また、本丸からの景色は良かったです。

遠くの方に、徳島平野や鳴門海峡、紀伊水道まで見渡すことができます。登ってきた甲斐がありました。
下山は、西側から下りました。西側の道中にもたくさんの曲輪があり、陰滝という滝を見ることもできました。
数多くの曲輪が置かれた城に行けて良かったです。
参考:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『続100名城公式ガイドブック』,学研プラス



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