今回は、軍神上杉謙信が越中侵攻で何度も攻めた富山県砺波市の増山城に行って参りました。
増山城の概要
越中(現在の富山県)守護畠山氏の家臣、神保氏が守護代として戦国時代に越中の実質的支配者となりました。神保氏は、上杉謙信の越中侵攻を増山城に籠城して一度は撃退しましたが、再侵攻により落城しました。その後、城主を変え、江戸時代に廃城しました。城は山城で、最高所に広大な二ノ丸があり、二ノ丸を中心曲輪として周囲に幾重にも空堀を巡らしています。
曲輪……城の平坦面を持つ一区画

二ノ丸を中心としているんだ!

その通り。中心部は二ノ丸を主郭として全方位に曲輪を配してるんだ。
上杉謙信が攻めた堅城、増山城登城
まず、続100名城スタンプが置いてある砺波市埋蔵文化財センターに行きました。庄東小学校の敷地内にあり、増山城の遺物などを展示しています。入館料は無料で、増山城の登城認定証を頂きました!城に向けて出発しようとしたとき、係の人に「昨日の豪雨で道が閉鎖されていて、一番上までは行くことができませんよ。」と言われました。なので、行けるところまで登城しようと思います。
増山陣屋に着きました。そこからは増山城を遠くに見ることができます。

和田川の対岸から望んでいます。和田川が天然の外堀となっています。麓には侍屋敷と呼ばれる区画、城下町の下町がありましたが、ダム建設より水没してしまいました。それでは、増山城へ向かっていきます。
和田川ダムを渡ると、登山口である冠木門に着きます。

立ち入り禁止の表示がありましたが、話によれば道が閉鎖しているところまでは登ることができるとのことで、登山します。
登山道は急な道ではないですが、少しきつかったです。10分ほど登り続けると、大堀切が見えます。

大堀切は、城の中心部の北側と南側に存在しています。写真に見える北側の大堀切は、4本もの尾根を切った深さ10mにもおよぶ堀切が300m以上も続いています。
堀切……曲輪の独自性を保つ目的や、尾根筋を遮断する目的で尾根筋を断ち切るように設けられた堀

そんなに巨大な堀切があったんだ!

大堀切は、増山城の代表的な遺構なんだよ。
さらに少し進むと、一ノ丸に着きます。一ノ丸から西に少し進むと、馬之背ゴに着きます。

一ノ丸の西方にL字型の長大な土塁を持つ曲輪です。南側に櫓台状の張出を設けています。
一ノ丸に戻り、二の丸へと向かいました。少し進むと、大木が大雨の影響で倒れていました。

トレッキングシューズは履いてなく、木の上を進むと崖に滑り落ちて危険そうだったので、二ノ丸へ進むのは断念しました。二ノ丸には城内唯一の石垣が残っていて、攻撃拠点である隅櫓(櫓台)が北東と南西に設けられていたそうです。
上杉謙信が何度も攻め入った堅城に行けて良かったです。
参考:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『続100名城公式ガイドブック』,学研プラス



コメント
Nice post! 1754805607