大阪城 豊臣から徳川へ渡る強大な城郭

大阪城 天守 近畿

今回は、豊臣の城の上に徳川が築いた名城、大阪府大阪市の大阪おおさかじょうに行って参りました。今回は、大学の仲間と攻城しました。

大阪城の概要

豊臣秀吉が、織田信長の後継として天下人の城を築城したのが大坂城(明治以前はこのように表記する)です。大坂の陣を経て落城し、徳川家が再建しました。豊臣時代の遺構を破壊し、敷地に新しく築城しました。現在見られる城郭中心部の大きさは豊臣時代とあまり変わらないです。現在の3代目の天守は、初代の天守を再現して建てられました。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

大阪城というと、豊臣秀吉が城主の城というイメージがあるよね!

イッセイ
イッセイ

実は、秀吉は京都の聚楽第、伏見城を居城としていて、大坂城にはあまり滞在していなかったと言われているよ。

徳川と豊臣の広大な大阪城入城

大阪城公園は広大で、巡り方にもいくつかのルートがあるので、記事の構成のため実際に行ったルートと多少前後します。

大阪メトロ長堀鶴見緑地線、JR大阪環状線の森ノ宮駅で降り、まず大阪城公園を北上し、大阪城ホールの方面へと向かいました。左手には東外堀と石垣が見えます。この道では、記念樹の森と呼ばれる植林地で自然を感じることができます。大阪城の北東に位置する大阪城ホールを後に、枡形ますがたぐちの青屋門を入りました。

用語解説
  • 虎口……城の出入口
  • 枡形虎口……虎口前面に方形の空間を設け、周囲を土塁などで囲い込んだ虎口

二の丸東北にあるやぐらもんで、戊辰戦争と第二次世界大戦という二度の焼失の後、昭和44年(1969)に復元されました。

青屋門を入ると、二の丸に入りますが、ここで広大な内堀を見ることができます。

堀の幅が非常に広いです。また、石垣も見所があり、所々に屈折が設けられ、横矢がかかるようになっています。

用語解説

横矢(横矢がかり)・・・・・・迫りくる敵に対して、側面から攻撃すること

二の丸を西に進み、極楽橋が見え、そこから本丸の方へ入っていきましたが、記事の都合上そのルートを省きます。ちなみに、極楽橋を渡ると、天守背後の山里丸に着きます。山里丸には秀頼・淀殿ら自刃の地跡や刻印石広場など、見所があります。

さて、二の丸北に戻り、西へ向かいます。内堀越しに天守が見えます。

屋形船も見え、風情がある良い景色でした!人があまりおらず、静寂で落ち着きました。西の丸から一旦、大阪城公園を出て南下し、大手門の方へ向かいました。

門と櫓など見所が多い二の丸

大手門から再入城しました。

寛永5年(1628)に建造された大手口に当たる高麗門の正門です。親柱と後ろの控柱との間にも本瓦葺きの屋根を載せてあります。

用語解説
  • 大手・・・城の正面
  • 高麗門・・・門扉が雨に濡れないように屋根が三つついている門

大手門の脇には、千貫せんがん櫓が見えます。

西の丸庭園の西南隅に位置する二層の隅櫓です。織田信長が石山本願寺を攻撃していたとき、この付近にあった櫓からの攻撃に苦悩し、「千貫払ってでもその櫓を奪い取りたい」と言ったという故事に由来します。大手口を守るこの隅櫓は、どれほど攻撃力があったかわかります。

大手門を通ると、もん櫓が見えます。

大手口の枡形の石垣にある櫓です。大門の上部を跨ぐ渡櫓、直角につながる続櫓で構成されて、高さは全国でも最大規模です。

用語解説

多聞櫓……城壁の代わりとなる細長い櫓

多聞櫓を通ると二の丸に出て、二の丸を進み、桜門へ向かいました。

立派な天守がそびえる本丸

二の丸からは桜門が見えます。

桜門は本丸の正門で、中は枡形になっています。門は明治20年(1887)に再建されました。桜門をくぐると、突き当たりに非常に大きな石が見えます。

この石は、城内最大の巨石「蛸石たこいし」で、およそ108トンもあります。この巨石は、日本最大級の鏡石です。

用語解説

鏡石……城主の威厳・格式を示すためや経済力の誇示のために配された巨石

イッセイ
イッセイ

表面左下に蛸に見える模様があることから「蛸石」と呼ばれているよ。

桜門を通ると、本丸に出ます。本丸には「ミライザ大阪城」などのショッピング施設もありますが、やはり天守がそびえている姿が見事です!

昭和6年(1931)に建造されたこの3代目の天守は、日本初の鉄骨鉄筋コンクリート造の復元天守でした。最上層の黒壁と金箔の伏虎と鶴が素敵ですね。天守台は徳川時代のものです。天守は、国の登録有形文化財に指定されています。

天守台の真下には、「残念石」が設置されていました。

この石は、大坂城修復時に城の用材石とならなかったことから、「残念石」と呼ばれています。各所に「残念石」は数多く残されており、保存問題がありました。2025年大阪・関西万博の会場のトイレの柱として活用されることになり、話題になっています。それでは、天守へ入っていきます。

天守下の天守閣入館券売場から入館しました。入館料は、2024年現在、一般600円、中学生以下無料です。天守台の階段を上がると、金明水井戸屋形がありました。

約33メートルの深井戸です。寛永3年(1626)の銘があり、天守と同時期に造営されたことがわかります。

天守に入ると、1階にシアタールームがあり、秀吉と城に関する動画が上映されています。まず、8階の展望台に上り、周囲を見渡しました。

この写真は、西の方角です。秀吉も臨んだであろう大阪の町が一望できました。西側は、ビル群が広がっています。

この写真は南側で、天王寺・難波方面の景色です。こちらもビルが建ち並んでおり、日本一高いビル「あべのハルカス」が見えます。また、この景色の場所では大坂の陣で激戦が行われていた場所です。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

天守展望台からはいろいろな思いを馳せることができるね!

天守内部は、博物館になっていて、原寸大復元模型の「黄金の茶室」や、歴史資料などが展示されていました。非常に見所のある天守でした。

徳川家が広げた壮大な外堀

桜門から本丸を出て、二の丸を東へ進みました。本丸の南は空堀になっていました。

ここも横矢をかけやすい石垣になっており、敵を引き寄せてここで戦ったそうです。

森ノ宮駅の方へ二の丸を出ました。南外堀越しに一番櫓が見えます。

二の丸南面の東にある二層の櫓です。大坂城は南面が陸続きなため、二の丸の南外堀の縁に1~7番の櫓を設置し、防御しました。

南外堀伝いに大阪歴史博物館の方へ移動しました。大手前の南側からは六番櫓が見えます。

二の丸周囲の水堀の内、南側の部分が南外堀となっています。

イッセイ
イッセイ

2代将軍徳川秀忠は、堀の幅を広げて堀を深くし、その土砂で主郭部を上乗せして埋めさせたんだよ。

しゃっちゃん
しゃっちゃん

徳川家は、豊臣の痕跡を消したかったんだね!

六番櫓を中心に広がる南外堀は、堀の広大さがわかる良い景色でした。

豊臣秀吉にゆかりのある「太閤さんのお城」として大阪の町を見守った、最強城郭に行けて良かったです。

参考文献:公益財団法人 日本城郭協会,(2018),『日本100名城に行こう』,学研プラス. 大野信長,有沢重雄,加唐亜紀,(2018),『日本の城1000城』,西東社. 千田嘉博,(2018),『一生に一度は生きたい日本の名城100選』,宝島社.

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